炭水化物子のありふれた世界

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壮絶努力子の人生①  

壮絶努力子(インド人女20代半ば)は、インドのとある地方都市で次女として生まれた。

お父さんはビジネスマン、お母さんは専業主婦でお姉さんが一人の保守的な家庭で育った。

 

お父さんのビジネスはうまくいっていて、裕福だった。壮絶努力子がティーンの時、お姉さんが20台前半で結婚した。地方の保守的な家庭で育った娘さんとしては親、というか一族同士が決めた相手と結婚して専業主婦になるのはメジャー路線な人生である。

 

お姉さんが色黒だという理由で(インド人は白い肌が好き)、お姉さんが嫁いだ先でいじめられないようダウリー(新婦家が新郎家に持参する金や贈答品等)として3日間の盛大な結婚式代を壮絶努力家が貯蓄の全てをかけて負担した。

 

(因みにインドではダウリーは普通だし結婚式代を新婦側家族が負担するのが恐らく普通である。もっと因むと、金ないくせに全財産はたいて豪華な結婚式をしたり、特に田舎のほうや貧しい家庭ではダウリーが少ないと殺されたりいじめられたり上の代が死ぬまで嫁いだ先でこき使われるのも、割と普通である。昭和の農村みたいな感じ?)

 

壮絶努力子が同じ路線で結婚するのは数年後なので、その数年で壮絶努力子にも同じくらいの貯蓄ができるという算段であった。

 

が、お父さんが病気になった。

 

働けないほどの状態になってしまい、病院で手術や入院を繰り返した。

治療費ですっからかんになった頃、壮絶努力子が高校卒業の日を迎えた。

 

壮絶努力子は医者になるのが夢だった。

 

壮絶努力子は全寮制の学校に通っていて、医者になるという夢を叶えるため、毎日朝5時に起きて死ぬほど勉強していた。TVを高校卒業するまで見た事がなかった。成績が良すぎて、寮費・学費全てタダの特待生だったうえ、州立医大の入試面接さえ通れば年間日本円にすると5万円くらいで寮費も学費も賄われる特待生枠にも選ばれた。医大で5年半勉強すれば医者になれる超エリートコースだった。

 

あとは、200ルピー(1ルピー=その頃多分3円くらい。今は1.5円くらい)のバスに乗って州立医大の入試面接に行くだけだった。

 

こんな時に限って、インド名物の悪魔のようなウザい親戚がお母さんに囁いた。

「5年で25万円もするぞ!金がかかりすぎる。」

確かにもはや借金までしており、一銭もなかった壮絶努力子のお母さんも追い詰められていて、入試前夜に壮絶努力子を説得するしかなかった。

「本当にごめん。本当にお金がないから行かせられない」

 

壮絶努力子は発狂しそうだった。

「入試に行かせてくれないなら死ぬ!」

といって、服毒をするか(これといった毒が見つからず断念)、包丁で手首を切るかなどで大騒ぎになったがご近所さん(特に田舎のインド人は家に勝手に入ってくる)になだめられ、本当に一銭もない壮絶努力子はバスに乗れなかったため本当に入試面接に行けなかった。

 

壮絶努力子の努力は水の泡となり、3か月程何もせず鬱々とした日々を実家で過ごしていた。

 

インド名物、ウザい親戚は良かれと思ってなんと遠縁の親戚との縁談を持ちかけてきていた。その新郎候補のお家は皆いい人なので、事情をわかってくれてダウリー払わなくていいからという理由だが、因みにこのウザい親戚はウザいだけで、悪気は一切ない。

 

ティーンにして人生詰んでしまうことを恐れた壮絶努力子は、友達にこっそり300ルピーを借り、300ルピーのバスに半日乗り、隣の都市に住んでいるまた別の友達を頼って人生をかけた家出をした。