炭水化物子のありふれた世界

インドでのありふれた日々を発信しています。ツイッター→@tansuikabutsuk0

壮絶努力子の人生②

壮絶努力子、17歳。

友人を頼ってバスで某地方都市に来た。

お母さんに電話をして、友人のところにいるから無事であることを伝えた。

 

友人宅へ転がり込み、携帯電話すら持っていなかった壮絶努力子はこれからどうするのか何の計画もなかったがとにかく金がなかったのでとりあえず新聞広告で見つけた、給料週払い1000ルピー(当時1ルピー=2円くらいなので2000円くらい)のアンケート調査の仕事を始めた。

その後、月給8000ルピーの生命保険の営業、保険会社のコールセンターの仕事を見つけ、

友人宅から職場まで交通費をケチるため毎日片道5kmを歩いて通勤した。

 

友人の助けを得てある程度貯金ができた壮絶努力子は、結婚して都会にいる姉を頼って、姉の自宅から3km先の女子大に行くことにした。高校の成績が超絶良かったため、特待生で入学できた。(言うまでもなく徒歩通学)

姉の自宅に転がり込んだ壮絶努力子は心底安心した。

 

お姉ちゃんがいるからもうご飯の心配もしなくていいし、家もある、大学にも行ける・・・!

 

学費を捻出するため、大学に通いながら某大手通信エ〇テルのカスタマーサポートコールセンターと、ショッピングモールのイベント設営会社のバイトを始めた。

<当時の壮絶努力子のスケジュール>

月~土曜は朝8時~3時まで大学の授業、4時にコールセンターに出勤~夜8時半までバイト。

日曜はショッピングモールイベントのバイト。

 

壮絶努力子は、これで人並みの大学生生活が送れると、更に心底安心しかけた。

 

然し、そこは壮絶努力子の人生、そうは問屋が卸さなかった。

 

姉には、インド名物、姉のウザいダンナ(亭主関白:承認欲求強め)がいた。

 

このウザいダンナは、帰宅時間が遅いこと(バイトしてるからどうしようもない)について文句を言ってきたり、若くて頭が良く口の立つ壮絶努力子(ヨメの妹(=格下)に自分の意見という概念があり更に口に出す事が信じられない)にいろいろと口出してくるようになり、よく夫婦喧嘩に巻き込まれるようになった。

 

居づらくなった壮絶努力子は姉の家を出る事にした。